郷愁となった日常を追って~鉄道~
新津キハ 冬‐春を待つ厳しい地域‐
会津・新潟といえば豪雪地帯を思い浮かべる方が多いだろう。かくいう私もそうである。…のだが、本格的にカメラを構え始めてからというもの、温暖化の影響だろうか、暖冬による雪景色“不足”に嘆くばかりであった。
結局消化不良のまま、国鉄型気動車の最期はあっけなく過ぎていってしまったのだった。
2018.12.9 徳沢―豊実
いわゆるビギナーズラックというもので、大学時代の部活のOBOG会の日程に合わせた遠征だった。
前日はまだ寒気が十分でないと踏んで吾妻カッターを撮りつつのんびり北上し、肝心の会も学生街へ戻る後輩たちを慮って早めのお開きとなった。
店を出ると海沿いの町でも雪が舞う空模様。翌朝、狙いどおり(?)、十分に白銀の世界となったキハを頂戴した。
2018.12.14 米山―笠島
筒石駅
翌年の引退興行の大締めは、なんど糸魚川往復。冬の荒れた日本海、北陸本線らしさを狙った筒石駅での限界撮影。
コンディションは甚だ厳しかったものの、らしく撮ることはできた。
そしてこの日をもって、首都圏色“タラコ”は公式発表のとおり運用を外れ、海外へと旅立っていった。
2020.1.11 西若松―南若松
キハロス・雪ロスに怯えるヨンマルクラスタ(?)に急行色の会津鉄道入線の朗報が舞い込んできた。
しかしながら、やはり暖冬。1月だというのに平地はおろか山間部でもすぐに溶けてしまう雪に閉口しつつ、どう撮ろうか熟考を重ねた。
私が選んだこのポイント、只見線と会津鉄道の並走区間を利用し、あたかも複線非電化を走る優等列車を演出してみた。
2020.1.12 西若松―南若松
会津鉄道といえば茅葺屋根の湯野上温泉駅。発表当初は雪化粧したこの駅を妄想しつつもやはり冬枯れ。
おまけにスマフォ・コンデジをもった一般人・ニワカ鉄など、鉄の常識を知らない不規則な動きにも悩まされた。
とはいえ冬枯れの中、ハイライトともいうべき趣ある情景をものにすることができただけありがたいと自分を納得させるのであった。
2020.2.9 三川―五十島
只見線小出口を除けば、これが最後の新津キハの撮影となった。
憎まれっ子(?)の赤キハだが、雪景色の中では青髭よりも目立ってよいアクセントとなった。
しっかりと向き合うことわずか2年。58・28、52など、名場面を築き上げた名優たちが去ったあとも、淡々と人々を運んだキハ40系列。
地味ながらも残された国鉄型気動車も残すところ五能線・男鹿線、はたまた西日本の各地のみ。
復活と継続がされているSL運行が何とも皮肉に感じるが、ここに国鉄型気動車の楽園ともいうべき新津運輸区の歴史が1つ終焉を迎えた。