郷愁となった日常を追って~鉄道~
只見線 冬‐豪雪地帯の足‐
大赤字路線たる只見線が存続しているのは、国道252号線、六十里越峠が長くにわたって冬季閉鎖になることが理由の1つ。
とはいえ、近年はなかなか満足いく雪景色を拝むことはなかったのだが、かろうじて収めることができた数枚をお見せしたい。
2019.12.1 大白川―只見
六十里越峠の閉鎖直前に降雪。通行解除もGW前後が相場なだけに、雪景色の田子倉を拝むのはなかなかの難易度。
前日ほどの積雪状態ではなかったものの、最後の冬に撮ることができてよかった。
2019.12.7 大白川
新津キハの引退興行で羽越本線タラ急4連のネタがあったが、雪もない荒天ではどうにも写欲が湧かなくなってしまった。
とはいえ、近づく新津キハの終焉を前に何もしないわけにはいかない。
冬季のロングドライブでは始発の送り込み回送には間に合わなかったが、十二分のドラマチックな朝を堪能した。
2019.12.7 入広瀬―大白川
六十里越区間でなくとも豪雪地帯、のはずなのだが、どうにも山を下れば下るほどボリュームに乏しくなる。
暖冬そしてラッピング車に撮影地・構図を悩ませつつ、それらしい景色を収めた。
2020.1.2 早戸―会津宮下
年明け早々からの只見詣となったのは、新津キハだけでなく聖域と思われた只見線のヨンマルも置き換えが発表されたため。
前日の午後から乗り込んだが、想像以上の暖冬で成果は上がらず夜の降雪・積雪に期待をかけた。
残念ながら第一橋梁はごまかしようのない冬枯れ模様だったが、最初で最後の国道側からの第三橋梁はそれなりとなった。
2020.1.2 会津桧原―滝谷
早戸―会津水沼
本命の第一橋梁にフラれてしまったので、どうにかボリュームのありそうな区間を探した。
たいした積雪でもないのに中国人と思しきツアーバスが事故ったりとわけのわからない冬だったが、まさかこのあとその某国からこれだけの被害をもたらすウイルスが世界中に拡散することになるとは、この時は思いもしなかった。
2020.2.8 只見―大白川
越後須原―越後田中
どうにもこうにも雪が満足に降らない・積もらないで、しばらく185系なりに浮気をしていた1月。とはいえさすがに置き換え1か月を前に重い腰を上げ、ダメもとで撮影を敢行した。
予報から、この日の降雪をもって翌日に満を持しての第一橋梁、という青写真であったが、やはり空振りに終わったのであった。
2020.2.9 大白川―入広瀬
第一橋梁がやはり積雪不十分で失意の撤退。道中の磐越西線も消化不良となり、小出口の只見線へと戻ってきてしまった。
普段は曲がりくねった農道が特徴の踏切も冬は真っ白なキャンバスと化し、わずかな陰影が農地であることを主張している。
これはこれでお気に入りだが、後日、中井精也氏が公開した雪壁にまたもや暖冬を嘆いたのであった。
2020.2.19 会津西方―会津桧原
このまま雪景色の第一橋梁はネットと妄想の中で終わるかと諦めかけていたころ、チャンスが巡ってきた。平日ではあるが、結構な積雪が期待できる予報が出たこともあり、プライベートなトラブル対応を理由に休暇を申請。
妄想どおりに着雪しているだろうか?そんな不安を感じながら着いた道の駅は平日の夜明け前というのにほぼ満車。急いで整備された遊歩道を上り詰めると、そこには夢にまで見た景色が広がっていた。
さすがに夜明け前で露出は辛いが、スローシャッターでブラしてしまうとせっかくの4連がわからない。思い切ってISO8000の高感度で撮ったファインダーには、妄想以上の幻想的な世界が記録されていた。
2020.2.19 会津西方―会津宮下
会津水沼―会津中川
日の出後の第一橋梁も撮影したが、平々凡々でドラマにかけるため割愛。
いったん平日の坂下交換を撮影したあと、只見川に戻ってきた。
結局、只見線の雪景色を目にすることができたのはラストシーズン、それも暖冬で先人たちが記録したものと比べれば見劣りするようなものばかりであった。
それでも、地元の烏山線のヨンマルがあっけなく去ってしまった後悔のもと、新津のヨンマルとともに情熱を注ぎ、いくつかはその情景を画像に、目に焼き付けることができた。
そして、小出口については、置き換え車両の準備が整わず延長戦が展開された。コロナ“下”の泣きのロスタイムで記録したものは、また別に御紹介するとしよう。